エジプトの神々の物語で、いちばんまとまった形で伝わるのがオシリスの物語である。ただし、それを一続きに書き残したのはエジプト人ではなかった。
この物語の骨子 — 短い答え
オシリス神話は、エジプトの王オシリスが弟セトの計略で殺され、妃イシスが散り散りにされた遺体を探し集め、子ホルスがセトと王位を争い、オシリスが死者の国の王となる物語である。一続きの物語として伝える最古のまとまった文献は、ギリシャ人プルタルコスの「イシスとオシリスについて」である。本記事は柳沼重剛訳『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(岩波文庫)に依拠し、エジプト本土の文書は杉勇・屋形禎亮訳『エジプト神話集成』(ちくま学芸文庫)で確かめる。
語りの前に — 原典と再話の区分
エジプト本土の文書には、オシリスの死から結末までを一息に語る物語がほとんど残っていない。ピラミッドの銘文や讃歌が断片的に触れるだけで、筋の通った一篇にしたのは紀元一〜二世紀のギリシャ人プルタルコスである。次の再話は、そのプルタルコスの伝えを底に語り直す。宴の灯りや川の流れの描写は語りの補いで、計略の手順と結末は文献に従う。訳書の文章は引かない。
一夜の語り
ここからは館の語りです。原典に基づく再話(創作)であり、場面の描写や言い回しは語り部のものです。原典での伝わり方は、このあとの「原典ではこう伝わる」と出典欄で確認できます。
大地の神ゲブと天の女神ヌトの子らに、オシリスとセト、イシスとネフティスがいた。オシリスは王としてエジプトを治め、人々に耕すこと、実りを味わうこと、法と祭りを教えた。国の外へも旅をして、力ではなく歌と言葉で人々を従えたという。
弟セトは、それを妬んだ。七十二人の仲間と語らい、ひそかにオシリスの体の寸法を測らせ、その寸法どおりの美しい箱を作らせた。宴の席でセトは戯れのように言う。この箱にぴたりと収まった者に、これを贈ろう。客たちは次々に試すが、合わない。最後にオシリスが横たわると、箱の寸法はぴたりと合った。仲間たちは駆け寄って蓋を閉じ、釘を打ち、鉛を流して封じ、箱をナイルへ押し出した。
箱は流れを下り、海へ出て、遠くビュブロスの岸に打ち上げられた。岸辺の木が箱を抱き込むように育ち、その見事な幹は、やがてかの地の王宮の柱になった。夫を探して喪の旅を続けたイシスは、ついにその柱を探し当て、王に願って箱を返してもらい、エジプトへ連れ帰る。
だが、月の明るい夜だった。狩りに出たセトが、葦の茂みに隠された箱を見つけてしまう。セトは今度こそ終わらせようと、遺体を十四に分け、国の隅々にまき散らした。
イシスはパピルスの舟でナイルの湿地を渡り、ひとつ、またひとつと夫を探した。見つけるたびに、その土地に墓を築いて葬ったという。エジプトの各地にオシリスの墓が伝わるのは、そのためだと語られる。ただ一片だけは川の魚に呑まれ、ついに戻らなかった。
集められた王は、もう地上の玉座には帰らなかった。オシリスは死者の国に降り、そこの王となった。そして時おり冥界から戻っては、成長していく息子ホルスに、戦うすべを教えたという。
ホルスとセトの争いは長かった。力比べでも、神々の法廷でも、二人は幾度もぶつかり合う。セトはホルスの生まれまで持ち出して訴えたが、神々はこれを退けた。地上の王座はホルスのものとなり、オシリスは死者の国の王として、イシスは探し続けたその愛とともに、語り継がれることになった。
語りはここまで。ここから先は、原典と出典の話に戻ります。
原典ではこう伝わる
依拠したプルタルコスの「イシスとオシリスについて」は、随筆集『モラリア』の一篇で、エジプトの神話と祭りをギリシャ人の目で書き留めたものである。柳沼重剛訳『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(岩波文庫)で全体が読める。プルタルコスは物語を記すだけでなく、その解釈にも紙幅を割いており、物語の部分と解釈の部分が分けて書かれている点は、語りと地の文を分けるこの館と少し似ている。
エジプト本土の文書では、ピラミッド・テキストの銘文がオシリスの死と復活に断片的に触れ、王位争いは「ホルスとセトの争い」という独立した物語として伝わる。こちらは杉勇・屋形禎亮訳『エジプト神話集成』(ちくま学芸文庫)に収められている。また、エジプトに伝わる讃歌のなかには、イシスが翼で風を起こして倒れた夫の息を呼び戻し、ホルスを身ごもったとうたうものがある。
異伝 — 別の結末・別の系譜
- 遺体の数。プルタルコスは十四と記すが、十六、あるいはエジプトの州の数にあわせて四十二と数える伝えもある。
- ヌトの子ら。エジプトの神統ではオシリス・イシス・セト・ネフティスの四柱で、ホルスはオシリスとイシスの子とされる。プルタルコスは五柱を挙げ、そこに兄としての「大ホルス」を含める。系譜そのものが二様に伝わっている。
- アヌビスの生まれ。プルタルコスは、アヌビスをネフティスの子とし、イシスが犬たちの助けで見つけ出して育てたと伝える。エジプトの文書では、その生まれの伝えに幅がある。
数も系譜も、そろえずに並べたまま置いておく。それがこの物語のいちばん正直な姿である。
読める本と出典
依拠書誌は柳沼重剛訳『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(岩波文庫、岩波書店)と、杉勇・屋形禎亮訳『エジプト神話集成』(ちくま学芸文庫、筑摩書房)である。物語に脇から加わったアヌビスは、死者の国で大きな役目を持つ神である。系譜と逸話はアヌビスの名鑑で読める。死者の国をめぐる語りを並べて読むなら冥界下りの棚へ、冥界とのあいだを行き来するもう一つの物語ならペルセポネーの語りを訪ねるとよい。
なお、オシリス信仰の遺跡やミイラづくりの考古学は史実側の領分であり、この館では立ち入らない。
