春に地上へ帰り、実りの季節が終わると冥界へ降りる女神がいる。ギリシャの人々は、季節の巡りをひとりの娘の行き来として歌った。
この物語の骨子 — 短い答え
ペルセポネーの神話は、豊穣の女神デメテルの娘ペルセポネーが冥界の王ハデスにさらわれ、母の捜索と抗議の末に、一年の三分の一を冥界で、残りを地上で過ごすことになる物語である。娘の不在の間、大地は実りを閉ざす。季節の巡りの由来として語り継がれてきた。本記事は、もっともまとまった古い伝えであるホメーロス風讃歌の「デーメーテール讃歌」(沓掛良彦訳『ホメーロスの諸神讚歌』ちくま学芸文庫)に依拠する。
語りの前に — 原典と再話の区分
「ホメーロス風讃歌」は、ホメロスの叙事詩と同じ韻律で神々を歌った古い讃歌の集成で、ホメロス本人の作とは考えられていない。そのうちのデーメーテール讃歌が、この母娘の物語をもっとも詳しく伝える。次の再話では、野の光や母の足取りを語りの言葉で補ったが、出来事の順序と結末は讃歌の筋に従い、訳書の文章は借りていない。
一夜の語り
ここからは館の語りです。原典に基づく再話(創作)であり、場面の描写や言い回しは語り部のものです。原典での伝わり方は、このあとの「原典ではこう伝わる」と出典欄で確認できます。
若草の女神コレー、のちにペルセポネーと呼ばれる娘は、その日、海の乙女たちと花を摘んでいた。ニュサの野には薔薇が咲き、クロッカスが咲き、そのただ中に、百の花を一つの茎から咲かせる水仙があった。大地が、冥界の王の望みを容れて咲かせた、美しすぎる罠だった。
娘が両手をのばした、そのとき。野が裂け、黄金の車が躍り出た。冥界の王ハデスである。王は叫ぶ娘をさらって車に乗せ、裂け目の奥へ消えた。父ゼウスは、あらかじめこの結婚を許していた。娘の叫びを耳にとめたのは、洞にいた女神ヘカテと、天を行く太陽ヘリオスだけだった。
母デメテルは、山を越え海を越え、九日のあいだ松明を両手に娘を探した。食べも飲みもせず、身を清めもしなかった。十日目にヘカテが訪れ、二人で太陽のもとへ行くと、ヘリオスは見たままを告げた。さらったのはハデス、許したのはゼウスです。
デメテルは神々の山を捨てた。老女の姿で人の世を歩き、エレウシスの町にたどり着く。王家に迎えられた女神は、生まれたばかりの王子の乳母となり、この子を不死にしてやろうと、夜ごとひそかに火にくぐらせて育てた。だが母親が夜中にそれを見て、悲鳴を上げる。女神は正体を現し、この地にわたしの神殿を建てなさい、と命じた。
神殿に籠った女神の悲しみは、大地の実りを止めた。種は芽を出さず、鋤は空をかき、飢えが人の世を覆い、神々への供物も絶えた。ゼウスは使者を次々に送り、贈り物を並べたが、女神は動かない。娘の顔を見るまでは、大地に実りを返しません。
ついにゼウスは、ヘルメスを冥界へ下した。ハデスは意外なほど静かに頷き、妃を地上へ帰すことにした。ただし、別れぎわに、甘い柘榴の実をひそやかに娘の口へ含ませた。
母と娘は駆け寄って抱き合った。だがデメテルは、抱きしめながら問う。あちらで、何か口にしなかったね。娘は柘榴の一粒のことを打ち明けた。それゆえに、定めは分かたれる。一年の三分の一は霧の冥界で王の妃として、残りの三分の二は光の中で母とともに。
娘が帰る季節、大地は花と穂で覆われる。娘が降りる季節、大地は実りをしまい、母は静かに待つ。デメテルは大地に豊かさを返し、エレウシスの人々にみずからの祭りの定めを授けた。讃歌は、そのように歌い納める。
語りはここまで。ここから先は、原典と出典の話に戻ります。
原典ではこう伝わる
デーメーテール讃歌は、成立が紀元前七〜六世紀ごろと考えられている古い詩で、娘の略奪から母の捜索、エレウシスでの滞在、再会と取り決め、そして祭儀の起源までを一続きに歌う。沓掛良彦訳『ホメーロスの諸神讚歌』(ちくま学芸文庫)で全訳が読める。讃歌でペルセポネーが冥界で過ごすのは一年の三分の一である。地上で過ごす三分の二とあわせて、娘の行き来が季節の巡りに重ねられている。
なお、エレウシスの祭儀は古代世界で長く続いた密儀で、その中身は秘され、今日でも多くが分かっていない。この記事は、讃歌がその起源を語っているという事実だけを記す。
異伝 — 別の結末・別の系譜
- 冥界で過ごす期間。讃歌は一年の三分の一とするが、後代のローマの詩人オウィディウスの『変身物語』は、一年を半分ずつに分けると語る。季節への重ね方が伝えによって違う。
- 柘榴のこと。讃歌では、ハデスがひそかに実を含ませたと語られる。後代の伝えには、実を口にしたところを冥界の者に見られ、証言されたと語るものもある。
- さらわれた野の場所。讃歌はニュサの野と歌うが、シチリアなど別の土地に置く伝えもある。
どの伝えも、柘榴の一粒が娘と冥界を結ぶという急所は共有している。分かれた枝ごと覚えておけばよい。
読める本と出典
依拠書誌は沓掛良彦訳『ホメーロスの諸神讚歌』(ちくま学芸文庫、筑摩書房)である。娘の結婚を裏で許していた父ゼウスについては、ゼウスの名鑑が系譜と逸話に詳しい。
生者や神が冥界と行き来する物語は、ギリシャだけのものではない。冥界下りの棚で並べて読める。とりわけイザナギの黄泉下りは、冥界の食べ物が帰り道を塞ぐという点で、この讃歌と響き合う。
