太陽の神が隠れ、世界が闇になる。日本神話でもっともよく知られたこの場面には、意外なことに、大きな笑い声が響いている。
この物語の骨子 — 短い答え
天岩戸の筋は、ウズメの踊りだけを覚えるより、光が消えて戻るまでの五つの動きで追うと見失いにくい。
- 岩屋に籠る — スサノオの乱暴を受け、アマテラスが岩屋の戸を閉ざす。世界は闇に沈む。
- 神々が相談する — 八百万の神々が集まり、オモイカネに光を戻す策を考えさせる。
- 祭りを整える — 鶏、鏡、勾玉、榊、祝詞を用意し、アメノウズメが踊る。神々の笑い声が岩屋へ届く。
- 鏡で戸口へ誘う — 外の騒ぎをいぶかしんだアマテラスが戸を開け、自分の光を映す鏡に目を向ける。
- 外へ導く — タヂカラオがアマテラスを引き出し、フトダマが戻れないよう縄を張る。世界に光が戻る。
一人の妙技で戸が開いたのではなく、相談、道具、踊り、笑い、鏡、力仕事がつながった共同の策である。本記事は倉野憲司校注『古事記』(岩波文庫)を軸に、その段取りを追う。
アマテラスは今日も祀られている神であり、この体系は生きた信仰と地続きである。ここでは書物に残る物語としての天岩戸だけを扱い、信仰の実践には立ち入らない。
語りの前に — 原典と再話の区分
再話は古事記の筋に従う。闇の深さや神々のざわめきの描写は語りの補いだが、誰が何を作り、誰がどう動いたかという祭りの段取りは原典のとおりに運ぶ。校注書の文章は引き写さない。書物ごとに違う伝えは、語りのあとの異伝の節で並べる。
一夜の語り
ここからは館の語りです。原典に基づく再話(創作)であり、場面の描写や言い回しは語り部のものです。原典での伝わり方は、このあとの「原典ではこう伝わる」と出典欄で確認できます。
姉と弟の誓約のあと、勝ちを誇ったスサノオは高天原で荒れた。田の畔を壊し、水路を埋め、新嘗の御殿を汚した。それでもアマテラスは、何か考えがあってのことでしょう、と弟をかばった。
だが乱暴は止まらない。神の衣を織る機屋の屋根に穴を開け、皮を剥いだ馬を投げ落としたのである。織っていた娘は驚きのあまり、梭で身を突いて死んでしまった。
アマテラスはついに天の岩屋に入り、戸を固く閉ざした。太陽の神が隠れると、高天原も葦原の中つ国も、残らず闇に沈んだ。夜だけが続き、あらゆる災いがいっせいに起こった。
八百万の神々は天の安の河原に集まり、知恵者オモイカネに策を考えさせた。まず常世の長鳴鳥を集めて鳴かせる。鍛冶に鉄を打たせ、イシコリドメに鏡を、タマノオヤに勾玉の飾りを作らせる。占いで吉を確かめ、天の香山から根ごと掘り起こした榊に、玉と鏡と布をかけた。フトダマがそれを捧げ持ち、アメノコヤネが祝詞を唱える。力自慢のタヂカラオは、戸の脇にそっと隠れた。
そしてアメノウズメが、桶を伏せて舞台にし、足を踏み鳴らして踊り始めた。神がかりの踊りは大胆で、衣は乱れ、見ていた八百万の神々は、闇の中でどっと笑った。高天原が揺れるほどの笑い声だった。
岩屋の中のアマテラスは、いぶかしんだ。私が籠って、天も国も闇のはずなのに、なぜウズメは踊り、神々は笑っているのか。戸を細く開けて問うと、ウズメが答えた。あなたさまに勝る貴い神がおいでになったのです。うれしくて、歌い踊っております。
そこへコヤネとフトダマが鏡を差し出す。鏡に映る光る神をよく見ようと、アマテラスがさらに身を乗り出した、そのとき。隠れていたタヂカラオがその手を取って引き出し、フトダマがすかさず背後に縄を張り渡した。ここから内へは、お戻りになれません。
光が戻った。高天原も中つ国も、ふたたび照らされた。神々は集って罪を定め、スサノオに償いの品を負わせ、髭と手足の爪を切らせて、高天原から追い払った。追われた弟が出雲へ降りて大蛇と戦うのは、また別の一夜の物語である。
語りはここまで。ここから先は、原典と出典の話に戻ります。
原典ではこう伝わる
古事記では、この物語は上巻、スサノオの乱暴とその追放のあいだに置かれている。鶏、鏡、勾玉、榊、祝詞、踊りと、祭りの道具立てが一つずつ手順を踏んで積み上がっていく描写が原文の読みどころで、倉野憲司校注の岩波文庫版なら読み下し文と原文の両方で確かめられる。
この場面を日食や冬の太陽の衰えと結びつける読み方は古くからあるが、原典そのものは、なぜ世界が闇になったのかに理屈をつけない。学説は学説として、断定せずにおく。
異伝 — 機屋で傷を負ったのは誰か
機屋の場面は、書物によって伝えが分かれる。古事記では、機織りの娘が梭で身を突いて命を落とす。日本書紀の本文では、アマテラス自身が梭で身を傷つけて岩屋に籠ると語られる。さらに日本書紀の一書には、稚日女尊という女神が機屋で亡くなる伝えもある。誰が傷ついたのかという物語の急所が、三様に伝わっているのである。
織り機の糸を無理に一本へまとめないのと同じで、この記事もどれかを正解に選ばない。異伝の確認には坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀(一)』(岩波文庫)を用いた。
読める本と出典
依拠書誌は倉野憲司校注『古事記』(岩波文庫、岩波書店)、異伝の確認は坂本太郎ほか校注『日本書紀(一)』(岩波文庫)である。この物語の前史にあたるのが、アマテラス誕生を結末に持つイザナギの黄泉下りである。アマテラスの系譜と呼び名はアマテラスの名鑑にまとまっている。
場をかき回した末に物語を動かしたスサノオを、北欧のロキらと並べて眺める夜は、トリックスターの棚が引き受けてくれる。

