ロキは「何の神か」と聞かれると答えに困る存在である。雷のトール、知恵と戦のオーディンのような分かりやすい領分を持たず、悪役と呼ぶには神々を助けすぎ、味方と呼ぶには災いの種になりすぎる。この名鑑は、北欧神話の主要な原典である詩のエッダとスノッリのエッダ(依拠: 谷口幸男訳『【完全版】エッダ 古代北欧歌謡集』新潮社)に基づき、この決めにくさごとロキを案内する。
何の神か — 短い答え
ロキは巨人の血筋でありながらアース神族と行動をともにする存在で、変身の術と弁舌に長け、神々に知恵を貸すこともあれば、神々を最大の危機に追い込むこともある。スノッリのエッダはロキをアース神族の一員に数えつつ、神々をそしる者、たばかりの始まりの者、といった趣旨の言葉で紹介する。特定の自然現象や営みを司る神というより、物語を動かす役として語られることが多い。
映画やゲームで「いたずらの神」「嘘の神」と紹介される呼び方は、この性格づけを短くまとめたものと言える。ただし原典のロキは一枚岩ではなく、場面ごとに顔が変わる。
名前と呼び方
ロキの名の語源には諸説があり、定説はない。原典では父の名を取って「ラウヴェイの息子ロキ」と母方で呼ばれることがあり、これは父ではなく母の名で呼ばれる珍しい例として知られる。ほかに、ともに旅をしたトールの相棒として、またオーディンと血を混ぜて義兄弟の誓いを結んだ者として言及される。この誓いは詩のエッダの「ロキの口論」でロキ自身が持ち出すもので、神々がロキを宴から追い出せない理由づけにもなっている。
領分と象徴
ロキには、雷や豊穣のような固有の領分がほとんど語られない。代わりに一貫して結び付くのが変身である。鮭、牝馬、蠅、老婆など、姿を変える逸話が多く、この自在さがロキの武器であり逃げ道でもある。図像や持ち物についても、トールの鎚のような定番の象徴を原典はロキに与えていない。領分の空白こそがロキらしさである、と言ってよい。
系譜 — 親・配偶者・子
| 関係 | 名前 |
|---|---|
| 父 | ファールバウティ(巨人) |
| 母 | ラウヴェイ(別名ナール) |
| 妻 | シギュン |
| シギュンとの子 | ナリ(ナルヴィ) |
| 巨人の女アングルボザとの子 | 狼フェンリル、大蛇ヨルムンガンド、冥界を治めるヘル |
この三きょうだいは、のちに神々の運命へ深く関わる。フェンリルはオーディンを、ヨルムンガンドはトールを、終末の戦いで待ち受ける相手である。さらにロキは牝馬に姿を変えて名馬スレイプニルを産み、オーディンの乗馬として献じられたと語られる。系譜の上でも、ロキは産む側と産ませる側の両方に立つ、枠に収まらない存在である。
主な逸話
終末の顛末はラグナロクの語りの記事が引き受けるので、ここでは場面ごとに顔の変わる逸話を要約で並べる。
- シヴの髪。トールの妻シヴの金髪を切り落とし、償いとして小人の鍛冶たちに黄金の髪や神々の宝を作らせる。トールの鎚ミョルニルもこのとき生まれた。
- 花嫁になったトール。鎚を巨人に奪われたとき、ロキはトールに花嫁の衣装を着せて巨人の館へ乗り込ませ、自らは侍女に扮して口八丁で場をつなぐ。詩のエッダ「スリュムの歌」の題材である。
- バルドルの死。光り輝く神バルドルがあらゆるものから傷つけない誓いを得たあと、唯一誓いを免れていたヤドリギを使って死に至らしめる筋にロキが関わる。神々はロキを捕らえ、岩に縛りつけ、顔の上に毒蛇を吊るした。妻シギュンが器で毒を受け続けるが、器を空ける間に滴る毒でロキが身をよじると大地が揺れる、と語られる。
- ラグナロク。終末の戦いで、ロキは縛めを解かれて神々の敵の側に立ち、番人の神ヘイムダルと相討ちになる。
異伝 — 別の伝わり方
- 位置づけの幅。スノッリのエッダはロキをアース神族の一員に数えるが、血筋は巨人に連なる。神々の仲間として描く語りと、外から来た災いの種として描く語りが、資料の中で併存している。
- バルドルの死の描かれ方。スノッリのエッダは、ロキが盲目の神ホズにヤドリギを投げさせたと具体的に語る。一方、詩のエッダの「巫女の予言」はバルドルの死とロキの捕縛を簡潔に述べるに留まり、細部の伝わり方には幅がある。
他の神話の似た神
秩序の内と外を行き来し、いたずらで物語を動かす存在は、他の体系にも見つかる。日本の記紀神話のスサノオは、高天原で乱暴を働いて追放される一方、地上では怪物を退治する英雄にもなる。こうした存在を「トリックスター」と呼んで比べる読み方があるが、これは後代の学問上の枠組みであり、原典がそう名乗っているわけではない。読み比べは棚の記事に譲る。
原典と読める本
この記事は谷口幸男訳『【完全版】エッダ 古代北欧歌謡集』(新潮社、伊藤尽・小澤実監修)に依拠した。詩のエッダとスノッリのエッダの両方を収める翻訳で、ロキの逸話の多くは物語部分をまとめたスノッリのエッダ側で読みやすい。まず「スリュムの歌」のような一編から入り、気に入ったらバルドルの死とラグナロクへ進む読み方が挫折しにくい。