ゲームやアニメで英雄の代名詞のように扱われるギルガメシュには、人類最古と呼ばれる物語がある。ここでは、その物語を一夜ぶんの語りとして再話し、原典での伝わり方と読める翻訳書まで案内する。
この物語の骨子 — 短い答え
ギルガメシュ叙事詩は、古代メソポタミアの都市ウルクの王ギルガメシュを主人公とする物語である。粘土板に楔形文字で記され、王が野人エンキドゥと友になり、杉の森の怪物フンババを倒し、友の死をきっかけに不死を求めて旅をする。旅の果てに永遠の命は得られず、王は人の身のままウルクの城壁へ帰る。本記事は矢島文夫訳『ギルガメシュ叙事詩』(ちくま学芸文庫)に依拠する。
「最古の文学」と紹介されることが多いが、長さは現代の小説より短く、筋は追いやすい。友情、怪物退治、喪失、旅、洪水と、後の物語の型がほとんど揃っている点が、いま読んでも古びない理由である。
語りの前に — 原典と再話の区分
この物語は、ニネヴェの王アッシュルバニパルの書庫跡から出土した粘土板、いわゆる標準版を軸に伝わる。次の節の再話は、この標準版の筋に沿って語り直したものである。場面の情景や人物の息づかいは語りの補いであり、筋・固有名詞・結末は原典に従う。翻訳書の文章をそのまま借りることはしない。原典でどう伝わっているかは、語りのあとの節で確かめられる。
一夜の語り
ここからは館の語りです。原典に基づく再話(創作)であり、場面の描写や言い回しは語り部のものです。原典での伝わり方は、このあとの「原典ではこう伝わる」と出典欄で確認できます。
ウルクの王ギルガメシュは、三分の二が神、三分の一が人という生まれだった。並ぶ者のない力で城壁を築いたが、その力は民を疲れさせた。訴えを聞いた神々は、粘土からもう一人の強い者を造る。野に生まれたエンキドゥである。
エンキドゥは獣の群れと草を食み、泉の水を飲んで暮らしていた。やがて街から来た女と日々を過ごすうちに獣たちは彼のもとを離れ、彼は人の言葉と暮らしを覚えて、ウルクへ上った。都で二人は組み合い、壁を震わせて争ったすえに、どちらからともなく手を取った。王には初めての、対等な友だった。
二人は杉の森へ向かう。森の番人フンババは、声は洪水、口は火と恐れられる怪物である。太陽神シャマシュの起こした風がフンババを押さえ、二人は森の主を討ち取った。
凱旋した王に、女神イシュタルが妻になれと迫る。ギルガメシュは、女神がかつて愛した者たちの末路を数え上げて断った。怒った女神は天の牛を地上へ放ち、牛は大地を裂いて人々を呑んだが、これも二人が仕留めた。
その夜、エンキドゥは夢を見る。神々が集い、森の主と天の牛を殺した償いとして、二人のうちエンキドゥの命を取ると定める夢である。夢のとおり彼は病み、床についたまま帰らぬ人となった。ギルガメシュは七日七夜、友のかたわらを離れなかった。
友が死んだ。ならば自分も、いつかこうなるのか。王は初めて死を恐れ、ウルクを出た。神々から永遠の命を与えられたという人間、ウトナピシュティムを訪ねる旅である。山の門を守る蠍人間に道を請い、長い闇のトンネルを抜け、宝石の実る園を過ぎ、海辺に住む女シドゥリに渡し守の居場所を教わり、死の水を越えて、ようやくその人の前に立った。
ウトナピシュティムは静かに語った。かつて神々が大洪水で人を滅ぼすと定めたとき、知恵の神エアの声に従って船を造り、家族と職人と生き物を乗せて嵐を生き延びたこと。船が山にかかり、鳩と燕と鴉を放って水の引きを知ったこと。そして神々が、二度と繰り返さぬ例外として、自分たち夫婦にだけ永遠の命を与えたこと。おまえに同じ道はない、と老人は言った。
それでも食い下がる王に、老人は試練を出す。六日七夜、眠らずにいられるか。ギルガメシュは座ったまま眠り落ち、日ごとに傍らに置かれたパンの乾き具合が、その眠りの長さを証していた。
帰り際、老人は妻に促され、はなむけを一つ明かす。海の底に、老人を若返らせる棘の草があるという。王は足に石を結んで潜り、その草を手にした。だが帰り道、泉で体を清めている間に、匂いを嗅ぎつけた蛇が草をくわえて去った。蛇は古い皮を脱いで若返り、王の手には何も残らなかった。
ギルガメシュは泣き、そして帰った。ウルクに着くと、渡し守ウルシャナビに城壁を示して言った。この壁を見よ、これが私の街だ、と。物語はそこで幕を閉じる。
語りはここまで。ここから先は、原典と出典の話に戻ります。
原典ではこう伝わる
叙事詩は、アッカド語で粘土板十一枚と付録の一枚に記された形で最もよくまとまって伝わる。十九世紀にニネヴェの遺跡から粘土板が発見され、なかでも第十一の書板に刻まれた洪水の物語は、発見当時大きな反響を呼んだ。物語のいちばん古い層はシュメール語の複数の短い物語で、のちにアッカド語で一続きの叙事詩に編まれたと考えられている。
粘土板には欠けが多く、翻訳書にも欠損箇所がそのまま示されている。欠けごと読むのが、この物語のいちばん古い読み方である。依拠した矢島文夫訳の文庫版には、関連する「イシュタルの冥界下り」も併録されている。イシュタルという名はアッカド語のもので、シュメール語ではイナンナと呼ばれる。同じ女神の二つの名である。
異伝 — 別の結末・別の系譜
- 第十二の書板。標準版の末尾には、エンキドゥが生きたまま冥界へ降りる別系統の物語が付録のように置かれている。本編で死んだはずのエンキドゥが登場するため、筋はつながらない。シュメール語の物語を訳して付け足したものと考えられており、矛盾ごと今日まで伝わっている。
- フンババの名。標準版ではフンババ、古いシュメール語の層ではフワワと呼ばれる。
- 洪水の主人公。この叙事詩ではウトナピシュティムだが、別の粘土板文書ではアトラハシス、シュメール語の伝えではジウスドラの名で語られる。同じ型の物語が、名を変えて幾つも残っているのである。
どれか一つを正解に選ばず、並べたまま読む。それがこの館の流儀である。
読める本と出典
依拠した翻訳は矢島文夫訳『ギルガメシュ叙事詩』(ちくま学芸文庫、筑摩書房)である。註と解説が付き、文庫一冊で本編と「イシュタルの冥界下り」まで読める。物語の鍵を握る女神についてはイシュタルの名鑑で系譜と逸話を確かめられる。第十一の書板の洪水は、洪水神話の比較で他の体系の洪水と並べて読める。死者の国をめぐる語りは冥界下りの棚に続く。
なお、ギルガメシュはシュメールの王名表に名が見える王でもあるが、実在をめぐる考証や発掘の話は史実側の仕事であり、この館では扱わない。ここにあるのは物語だけである。